性善説の響きを借りた

性善説で生きていくのは苦しいよ」
 とあたしに言ったのは、大事な大事な友達だった。
 どういう会話の流れからこんな話になったのかは全く思い出せない。ただ、そのときしていたのは、基本的に人を善いものとして見ているか悪いものとして見ているか、という話だった。
 彼女も、そしてあたしも基本的に人間に対する興味が普通より希薄なところは共通している。だから人の善悪をどう判断しようが、その後の処理はほとんど同じだ。よほど親しくならない限り、感情を動かす対象に入れない。
 だから人間ってものをポジティブに見たってしょうがないというのが彼女の言い分だった。
 そして、それに、と言って、彼女は上のような言葉を残す。人を基本的に善いものだ、と考えながら生きていくのは茨の道だと。
 そのときあたしは、でもそれでもやっぱり、と言った。
「悪く考えるほうが楽なのはわかるんだよね。けど、あたしは性善説で生きていっちゃうような気がする」


 このとき、性善説、という言葉をあたしはまるまる勘違いしていたのだ、と今ならわかる。自分のことにまったく自信がないからこそ、ほかの人を良く見る「ことしかできない」ということに、このときのあたしは気づいていなかったのだ。

 

 だからあたしは、あたしの直属の上司に対していまだに悪い印象を持てないでいる。というか率直に言うと、いまだに尊敬までしている。あたしの休職の原因のひとつはこの人にあることは明らかにもかかわらず、それでも彼を「悪者」にできずにいる。
 あたしと上司の相性は、上司と部下という立場において、最悪といってもよかったと思う。だから、こうなったのは、あたしだけが悪いわけじゃないということは頭では分かっている。あなたが悪いわけじゃないとたくさんの人に言われたし、だいたいこういう人間関係のもつれというやつで一方だけが悪いことなんてほとんどない。
 頭ではわかってる。わかっているのに、明日の休みから1か月休職をさせて頂きます、と言って頭を下げたとき、上司に対してあたしは心の中で100回はごめんなさい、って言ってた。

 でも休職前についぞその言葉を直接、メールでさえ伝えることはできなかったんだけどね。
 それは、どうしてだろう。