さようならでもまたねでもなく、「よろしく」って

 君を知ってから、あたしは君のことをずっと忘れなかった。ほんとうに、縋り付くように想ってきた。あたしの中で君という存在は時間を経るごとに変わっていったとは思う。だけど忘れるなんてことは考えたことがなかった。
 京都を出ることになっても君のことを忘れない自信はあった。あったけど、ひとつ心配があった。それは、距離っていう絶対的な壁はこの想いにも影響してくるのかな、ってこと。忘れない、忘れるなんてありえない、っていう自分の中のこの常識にも距離というものは踏み込んでくるのだろうかと。
 だけど、この想いで自分を勝手に雁字搦めにしていたこの8年は長かった。距離なんて、そんなの、この感情を阻むには弱すぎたね。


 京都を出て暮らしたこの1年半+αくらい。事あるごとに君を想ってきた。たとえばあたしの中で君のイメージは澄み切った青空のまま固定されているから、いまだに外がすっきり晴れていたら、君がいるみたいだ、なんて思ったり。雨の日は嫌いじゃないけど、君には似合わないって考えるし。
 君がいなくなった日当日どころか、毎月のその日にまで思いを馳せてた。
 そして何よりも、つらかったとき。もうだめだって思ったとき。支え、とはまた違うのかもしれないけど、あたしは君を思い出してた。最終地点に君が待っているんだとしたら、このまでは逢えない、こんな情けない姿じゃ駄目だ、って思ったら、もう一歩立ち上がろうかという気になった。
 あの場所にはJRに乗って、新幹線に乗って、私鉄に乗り換えて、途方もない時間をかけないとたどり着けない。それにたどり着いた先の場所には君の痕跡などもう残っていない。
 遠いなあって思う。
 でもそれがどうしたんだろうね。何も、関係ない。
 最初から距離なんてずっと遠かったんだから。


 だからさようならを言うためではなく、またね、があるかもわからかったけど、今後ともよろしくと言いに行くために、ちょっとだけ、一瞬だけ、挨拶をしてきました。
 そこに君はいないって知ってるけど。でもさ、挨拶するには、そして気持ちの整理にはちょうどいい場所じゃない?
 これから何処に行っても、誰と出会っても、どういう道を歩んだとしても、君のことを忘れるつもりはないです。どういう形で覚えているのかは分からないけど。ただね、形が変わるのはもうあんまり怖くない。怖かったときもあったけど、もう怖くないや。
 君が大事だって絶対的な基盤は揺るぎないって分かっちゃったからさ。
 墓場まで持って行く覚悟ですからね、あたしは。
 でね、あたしがそっちへ行くときは全力で君を探す。ほんとはその手を取りたいけど、まあそこまで贅沢は言わないよ。ただこんにちは、って挨拶するくらい、いいでしょう?
 ただ今はそのときじゃないってのも分かってるからさ。

 こっちで君のためにやれることなんてもう残っていないのも知っているから、ただ歩き続けるだけです。そして歩いていくために、君を忘れないでいたいです。