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「またね」が許されなくなる日が近づいてる

呟き

 3年間ずっと所属していた研究室とさよならしてきました。断捨離して、自分のデスクを空っぽに。特に感慨もなく道具を捨て、書類を捨て、机をぴかぴかにしてきました。立つ鳥跡を濁さず。あとお世話になった人に挨拶したりして、残りは卒業式だけ。

 さすがのあたしでも、帰り道を歩くときはいろんなことを思った。

 3年って長い。

 後輩と先輩は入れ替わるけど、同期は3年間いっしょだった。3年間、ほぼ週6で会ってた人ともう今後会う可能性がなくなるかもしれないという落差は高校生ぶり。しかも今回は物理的にバラバラになるから、会える可能性はぐっと減る。大きすぎる別れを前に、寂しいという感情より戸惑いが先に来てる。どういう感情を持っていいのかわからない。

 素直に寂しいとか悲しいとか言えないのはいつものことなのです。いつも別れの時に泣けないし、もう会うこともないかもしれないって理解しているのに感情が大きく揺さぶられない。

 だって3年前にこんなこと言ってるんだよ。

そんでもって、ここでもこんなことを書いた。

 後悔していないよ、と伝えたいです。あのとき、あの問いかけをした瞬間、私は無意識に全部捨てていたから。失ったものに未練を残さず、全部捨てて過去にすることだけはたぶん誰にも負けないくらい得意だ。人に勝てることなんてないと思っていたけど、これだけは誇れるだろうと思うくらいに。何を失っても誰を失っても、あたしはこれからもそうして生きていくのだろう。そして失ったものに触れた時、自分はこの手に何一つ残していないことに気づいて苦笑するんだ。 

 感傷よりも、"この人達との永遠はない"という割り切りがものすごくハッキリしているんだと思う。だからこそ別れも、通過点であるという認識が人よりも大きい。

 3日から5日まで同期たちと一緒に旅行してたときでさえ、彼らから「もうちょっとだね、寂しいね」という言葉が出てきたときに、そうだねとは言えなかった。寂しいとは思っているのに、それよりも先に違う感情が頭を支配してしまってびっくりした。

 旅行のあとも、グループLINEに投稿された「楽しかった。また行こうね!」という言葉を見た瞬間にスッと頭が冷えてしまって。かなわなさそうな「またね」を言うのがとても苦手で、だから「また」がないかもしれないって認識した瞬間に頭がマイナスの塊で埋め尽くされた。それからお金の精算でグループLINEが埋まってきたときに、ごめんね返事できなかったよ、って適当に加わってお茶を濁した。

 こんな自分が大嫌いなんだけど、今回も大嫌いなあたしのままなんでしょうか。3年間過ごした人との別れを前に、これでいいのかな?

 健全な関係じゃなかったと思う。同期と喧嘩したことはないけど、いつもいざこざを仲裁する立場だった。そのことでしんどくなって他の人に相談したら、「その人たちと過ごしたらあんたがすり減るだけだよ」って何度も言われた。そう思う。あたしの刀とか声優とかコスメとかそういう趣味さえ言えない、サッカー好きだってことも最近言ったくらい、それくらい警戒しないと一緒にいれなかった。この人たちはほんとうにどうしようもないなって思ったことが何度もあったのに、どうしても見捨てることができなかった。それでボロボロになって体調崩したりとかしたんだよ、笑える。

 でもやっぱり好きなんだよね。

 3年だよ。長い。3年は長い。それだけ一緒にいて、お世話になりまくって、好きっていう感情が溢れてるのに最後に思うことがこれって凄いよな。さっき書いたみたいに、健全な関係ではなかった、信頼していなかったんだと思う。「好きと信頼できないは同時並行できる」っていう嫌なことを知った3年間だった。だけど確かにあたしはあのひとたちの輪に入れてもらえてよかったって思ってる。

 だって、あたしを3年間ずっと同期として受け入れてくれた人たちなんだよ。

 なのにさ。

 

 22日が卒業式。どんな言葉を紡げばいいのか、いまから模索して覚悟をする。ちゃんと終われるといいな。