歩いてゆきたい

 ここに文章を綴らなかった間、自分の身に色々な出来事が降り掛かりすぎて、思い出してもその出来事が膨大すぎて、どうしようもなくなっている。そのことを懐かしく思う事も、振り返って後悔する事も、たぶんまだうまくできない気がするほどに。

 

 ソチ五輪が遠い話のようだ。

 女子フリーの日の記録を見ると、あたしは純粋に全力で楽しんでいた。浅田真央の滑走の時間になんとか起きて、彼女のラフマニノフを堪能し、それから最終滑走のキム・ヨナまで、あらゆるスケーターの4年に1度をしっかりと見届けた。

 それが全てだ、と思う。

 ユリア・リプニツカヤが好きで、彼女がメダルを逃した事に全力で悔しがった。15歳だから次があるという意見もあった。でも、今しかとれない金メダルもあると思うし、4年後というのは誰も予想することはできない。ましてや、フィギュアスケートの女子シングルという不確定要素が多すぎる競技だったら、なおさら。だからこそ、全力で悔しがることに迷いはなかった。彼女はそれだけの実力があるとあたしは信じていたし。リプニツカヤはメディアの、団体戦の犠牲になったと言った人もいた。でも彼女がそれを言い訳にしない以上、あたしもそこについては触れない。ただ、彼女があの試合、全力を出し切れなかった事が悔しかった。

 キム・ヨナが好きで、彼女が全力を出し切った事に心の底から賞賛した。バンクーバーではできなかった。ソチではそれができた。アディオス・ノニーノは地味なプログラムではあったけど、とても好きなプログラムだった。あの曲から放たれるルッツが好きだった。だからあのプログラムの完成を見れて嬉しかった。最終滑走でジャンプを全部決める彼女を、ただ強いと思った。彼女は現役で戦って来た間、何を背負って、何を抱えて生きて来たのだろうと思った。彼女へ向けられる視線は、どれくらいの種類があったのだろうと思った。あたしみたいな中途半端な視線を、彼女はどう思ったのだろう。そんなことを考えながら、あたしは彼女の演技を最後まで目をそらさずに見つめることができた。

 だから、よかったって思う。

 アデリナ・ソトニコワの金メダルには正直複雑な思いもあった。彼女が背負っていたものと受けた扱いを思うとほんとうによかったという感情もあるけれど、ロシアの女の子が栄光を勝ち取るならリプニツカヤが勝ち取って欲しかったという感情もあったから。そこは男子と同じ。でもその複雑な感情でさえも、きっとそういうものなのだろうと受け止めて、吐き出すこともできた。

 好きという感情にただ突き動かされた女子フリーだった。それはそれで悪くないと思ったし、ただ、あたしは彼女たちが好きなんだなって思えた。

 

 バンクーバーの借りは返せた。進めている、とは思う。

 だから、たぶん、進めるとは思う。

 ほんとうに色々な事が起きた、起きすぎた。どんな感情を持っていいのかわからなくて、悲しくなったり怒ったり逆にどうでもよくなったりした。ほとんど泣いてないけど、それは悲しくなかったんじゃなくて、泣いていいのかどうかもわかっていなかったからだった。

 自分は誰かと一緒にいないとダメになりそうで、とりあえず信頼できる人に事の顛末を話し続けた、ということもあった。自分がこんなことになるとは思っていなくてびっくりした。滅多にしない電話なんかもたくさんして、色々な人に励ましてもらいながら、たくさんの言葉をもらいながら、とりあえずここまでやってきた。新生活もはじまって、新しくふれあう人も増えて、混乱から癒えつつはある。

 まだ誰かに支えられないと立っていられない状況なのかもしれない。混迷の中にいて、視界がぼやけていてよくわからない状況で、ふらふらしているのかもしれない。そして、一番問題なのは、自分が居る状況でさえよくわかっていないことだけれど。それに、失ったこともあるし失った人もいるし、もうそれは絶対に取り戻せない。自分から手放した人も物もたくさんある。

 でもまだあたしにはこれだけ支えてくれる人がいる。支えてくれることもある。昨日は水泳であたしの大好きな古賀淳也が50メートル平泳ぎで久しぶりに代表復帰を果たした。今日はギラヴァンツ北九州ジュビロ磐田に3-2で勝利した。

 いろんなこと、いろんな大好きな物が、大好きな人が、あたしを支えてくれている。それに、最終地点では君が待ってる。

 だから、たぶん、歩いていける。

 と、迷わず信じていけるようになりたい。